五十自定稿

収録

書名
五十自定稿
所属
中国
著者
清朝
:王夫之

印行

叢書
1865
出版社
清朝
:王夫之

目次

計1冊 96 ページ/
全一冊
96 ページ
五十、最終稿
四言詩
和陶停雲、芋巖の五十歳の誕生日を祝して
雑詩
五言古詩
馮潔玲
朝、端州を出発し、同郷の人と別れる
蒼梧の舟から龍洲を望む
初入府江
仏山
雑詩四首
胡安人の追悼詩
遊子、劉母を嘆き泣く
小霽、楓木嶺を越えて白雲菴に至り、雨が降り出したため劉子參を訪ね……そこで次のような詩を詠んだ
春の日、書情
西荘源の住む後嶺の前、渓谷に古木が清らかに佇む……そこで一詩を賦す
冬遇
山居雑体卦名
来た道
感遇
夏の静かな暮らし
雲山妙峯庵は、申泰芝が丹薬を精製した場所である
秋の影
欧子直が南嶽から戻り、これを校訂した。
古意
問芋巖の病
五言絶句
湞峽謡 五首
秦王巻衣
長干曲
白鼻騧
江南曲
晋寧の諸子に春秋を説く口占、自ら笑う
春も尽き、子に連れられて山居に身を置き、雪を詠んだ絶句を寄せられた。あれから一年が経ち、改めてそれに応じて詠んでみる。
げっぷ
人気
かゆみ
山居雑体・口詠詩
口字詩
宋子主、高漸離を秦へ送り出す
絶句三首
百合を詠む
結襪子
五言近体
月斜
永興の廖氏と鄧氏の二人が、石角山の僧閣に私を招いて一晩泊めてくれた。そこは、私の父と次兄が〓斎を訪ねて遊んだ場所である。
清遠市の下にある華郷の古い停泊地を回想して
春江古体
南中霜降
不寐
趙国の学者・劉端星は、初めて到着した際に皇宮の牢獄から釈放された。
落日遣愁
壬巳(みずへび)年の初日、鄒大熙は劉子と共に白雲庵を訪れ、茶を酌み交わして語り合い、二首の詩を詠んだ。
春尽三首
李一超を悼む
季林を偲び、小勇を悼む――匡社での旧き日々を回想して
晦日二首
夏の夜
再び双髻峰に登る
二賢祠にて義興相公の詩を再読し、感銘を受けて賦す
『花詠』八首
即興
山居雑体薬名
山居雑体県名
岳峯悼亡四首
『迎秋』八首
寒月
早春三首
十二月八日の夜、月を見る
初九の夜、再び賦す
正月十六夜の再賦
唐須竹との夜話
始晴
湄水月泛同芋巖
排律
八月の梨の花
新秋、洋山にて雨上がりを眺める
山居雑体建除
哀管生永叙
愷六種鳳仙花盈畝聊題長句
六言
『詠史』二十七首
七言近体
耒陽の曹氏、江楼にて、かつての遊覧の地へは行かず
元通庵にて初雨の翌朝、目を覚ますと、巡撫の朱建武が平西に滞在した後、同城の知県を訪ねて戻ってきたと聞き、彼の病を気遣い、この戯れを交えた詩を捧げた。
李広生は黔陽から生還し、宮廷へ戻ると、即興で詠んで……湘亭の遊に贈った
姚夢峽秀才からの書簡への返答として、併せて金道隠、黄門、李広生、彭然、石二小司馬に捧ぐ
五日間にわたって軽く酒を酌み交わし、五隻の船に乗っている間に二度、人々に手紙を送った。当時、彼は宰相の機嫌を損ねてその命令を待っていたため、これを記録した。
畱守相公の六袠を仰ぎ、諸公と共に、次には密之学士の旧韻に倣う
石板灘、中秋の月なき夜、兄を偲んで
『読指南』集二首
冬が終わり、劉庶の家を訪ね、夜を徹して時事について語り合った
『哀雨の詩(続)』四首
人日
『月学』と『烏子之』
五日目に、彼らは幼子や息子を連れて行き、賢者たちさえも徳ある者や謙虚な者たちに従って少し酒を酌み交わし、そこで「断」という字を描いた。
即事有贈
人日、晴れ
秋雨、子直と共に
また雨
元日、子直奕を訪ねる
かつて孝亷の李一超は、貞節を貫き、貧困と苦難の末に亡くなり、後継者を残すことができなかった……夫人はこれを深く悼んだ。
劉若啓は、我ら兄弟の難を救ってくれた功績により、『敘』を著した……室子敔児
湖の外から些翁を偲ぶ
青原薬翁に捧ぐ
春日山居 松陵体に倣って六首
期していた徐蔚子と虎塘は遅れて到着し、残暑の病のため先に帰った。蔚子……これに感謝を込めて送る
黄度長への返答
得青原書
七言絶句
河田営にて夜望
桂林偶怨
南岳にて古書を整理し、西へ帰還して母を介護していたところ、現地の住民に困らされた……そこで兄にこれを送る
題:彭然の石舠壁
退屈しのぎ
過涉園にて季林の病を問う、急ぎ「早梅」の詩四首を詠む
西明寺を過ぎ、怡一上人を偲び、蒼枝慈智に示す
子敉が閔に遭遇して以来、私にその命を託して生き延びた者たち……絶句四首
欧陽三弟・叔敬の死を悼み、沈湘にて
小歩
吟得
折楊柳
明妃曲
『南岳摘茶詞』十首
初度日占
『竹枝詞』十首
思わず笑ってしまう
楽府
長歌行
独漉篇
君子は思行あり
川を渡る死んだ魚は泣く。
来るべき大難
『長相思』二首
箜篌引
歌行
休洗紅
莫種樹、山陰相公に捧げる「懐甯朱侍御」
康州謠 督府義興相公を追悼して 去る秋、鄒・管の両中舎と共に公の地を訪れた
斸蕨行
山居雑体 両端が細く
山居雑体・五雑俎
弟の鄭忝生を悼む
『管大兄・弓伯挽歌二首』の序文
避暑の王愷、六山荘にて夕雨に会し、歌を放つ
ある翁が『補山堂詩』を編纂した際、数十人の詩人が和歌を寄せたが、今春になってようやく私に送ってくれたので、その韻を踏んで和歌を捧げるとともに、翁の文体を模倣した。
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