吹網録
巻一
『曲礼』における「稷」の「日明粢句」という記述の根拠
與之庾
于中逸逸
顧陳垿『四書別解』
墓の移設と「嘉雄」の慣習
『史記』の『老子伝』に関する注釈
宋義有後
楚の元王、郢の客
『漢書』古今人表
「曲逆」の二文字の音
汲黯の没年
公孫洪の没年
郭林宗の没年
『蜀志・馬超伝』の誤記
『呉志・丁奉伝』の欠落部分
韋昭は諱を避けて改名した
『晋書』に収録されていない人物
王僧達
『隋書』煬帝の蛍を放つ事
『旧五代史』の考証用語
『旧五代史』楊凝式伝注証
巻二
『通鑑』の「張釈名」の項において、「史」の字に続いて最初に登場するもの
城門を閉じて大捜索を行うこと、および揚雄の待詔に関する二事について、本文を整理し、考異を残す
五鳳二年、幸廿泉の字に誤りあり
「刁」の字はすべて「異」という異体字である
温序は校尉であった
中元元年、「四字題」と改称された。
桓栄に関内侯の爵位を賜った
骨都侯は南単于の安国を殺害することを喜んだ
閻礱、趙世の名
中山穆王に子なし、国を除く(誤りを正し、帝紀に収録)
六年冬、本文がないにもかかわらず『考異』を著した
張角は三十六の陣を敷いた
6年閏月
劉道龍『考異』の誤記について
広陽王の「深」という名は、唐の皇帝の諱(タブー)に誤って従ったものである。
温公が拠り所とした『梁書』と『魏書』には別本がある
突厥の子弟はこれを「特勒」と呼び、勤と読むべきである
李渾の事績に関する本文と目録の年代が一致しない
韋津、誤書により死す
令狐行達、洪建にて
郝霊荃『名異文』
盧鴻の名の下には一字もない
立忠王璵を太子とする
令狐綯が湖州で知制誥に任命された年月
李啓勇の息子、羅羅・亭瀾。記録なし。
『瞿章名考』の異文訂正
李存進は天雄軍の都巡按使であった
呉越王の羅は、元号を変えるべきだった。
胡注における「文字通りの意味をそのまま解釈する」という誤り
胡注移置考異
胡注失収考異
『労季言通鑑札記』7条を付す
吹網録
巻三
頌敦銘
承安宮の鼎の銘
魏の太和年間に作られた銅製アイロン(人をアイロンがけする意)の銘文
泰山秦篆十字残石
元氏封龍山頌
龍朔造像銘
二礎雲麾碑
龍城六書石刻
寿海県県吏・王裕の妻の墓碑銘
尋陽公主墓誌の考証
閔栄の墓誌
明道二年貢硯銘
剣池生公講台の文字はすべて宋代の書家によるものである
『胡秋浩方会』 – 書名
『孔耳石』の題名
趙用壙の『誌書』における女性の再婚
開肇墓碑の碑文
元祐党籍碑 融県重刻本
三河県の遼碑
張伯顔壙志
米海嶽像賛石刻 董香光による再描本
明代恵州王の石刻による岩庭図
別本深慰帖
『赤壁賦』明代懐府版、「趙」印より前に印刷されたもの。
『況太守辟疆館記』の偽刻本に関する顕正
巻四
阮氏十三経刻本
顧澗薲校刻『宋本爾雅』
宋人の『一切経音義』
『史記正義』の抄録
『史通』——繁雑を削り、誤りを正す
『丙丁龜鑑』には出典がある
『明史』の『紀事本末』は盗作ではない
『廿二史感応録』に収録された張悌の事跡
『劫録』の補注・跋および著者に関する考察
呉許公奏議
『山谷宜州家乗』は原本ではない
付録:周聖楷編『楚宝』
陸放翁の『家訓』の執筆年に関する誤り
『亭林年譜』には誤りがいくつか見受けられる
陳夫人の年譜
流仙紀
寧古塔紀事
『訂旧聞証誤』の誤り
『読書敏求記』校訂本
『両浙金石志』という書名
章実斎による『修志』の体裁の優れ
『緑珠伝』に『田六出事』を付す
『虞山妖乱志』の著者
吹網録
巻五
匡謬正俗誤文
『夢渓筆談』の雁蕩山に関する記述
『玉照新志』の誤記
欧洪、陳三家の書簡はいずれも香山九老の事柄について言及していない
『困学紀聞』における葉遵の姓の誤り
『池北偶談』の旧版には、「やむを得ない」という条がある
『漁洋詩話』の四壬子図の誤り
『庚子消夏記』の年号の誤り
『湛園札記』の記載誤り
『柳南随筆』続編には訂正すべき箇所がある
『灤陽続録』は、金人の詩を近世の詩として誤って収録している
『養新録』 丹元子の考証
『読書脞録』の誤校正史〓「非虎」は誤りである
『思弁録輯要』の旧本
『無悶子録』遁翁の苦言
『文選』李善・五臣の同異
『文選』の注に『墨子』の「罌聴」の法が引用されている
庾子山集・哀江南賦注
『太白文経』:削除・改訂を加えた普及版。
温飛卿詩・顧注の疏
廬陵文王惕甫評本
画墁集補遺
『帰愚集』の誤文
居易堂集は「過房」の字を使用している
史書に収録された書評・題跋
付録:胡心耘による読書・校訂の注釈12条
巻六
石林春秋三書
建康集 完全版
建康集 陳子高への詩
石林公の年表
『石林奏議』宋本
石林家訓
石林燕語
胡心耘編『宇文紹奕事実』
避暑録話
岩下放言
石林詩話
石林詞
『念奴嬌』第二闋は、建康にいた頃に作られたものである
礼記解輯存本
石林公の歴任官職と在任期間
石林公箸作存佚考